ジン君が6月12日に天国に旅立ちました。
享年20歳
今日、オーストラリアに留学している親友とメールのやり取りをしましたが、生きていることを改めて深く考えさせられました。こうして日々生きてるけど,限られた時間の中で、体が動かなくなってしまうまでの時計も刻々と動いていること。その時間は物理的な時間なのかもしれないけど,それを色んな思いで埋めた時間を送りたいと感じたこと。
以前に新聞で生きるということを死という側面から見ることが重要であるという記事を見ました。人は生ばかりを見つめ、生に執着していることが多いかと思います。しかし、生の本質を見極めるために、表裏一体である、死ということに向かい合うことで、生き死にを理解し、初めて生きることの何ぞやを悟るのだと思います。
良い例えであるかはわかりませんが、離れてみて初めて気づくこと、居なくなって初めて気づくことなどたくさんあると思います。ありがたみがわかるというか、当たり前のように過ごしていた時間では気付かなかったこともたくさんあると思います。もし初めからそこに気づいていれば、もっと素敵な時間を送れていたと思います。
これまでは、運命などない。未来は自分で切り開いていくものだと考えておりましたが、起業する頃から、運命というものをよく感じます。
人との出会いや出来事も偶然ではなく必然だと感じます。必然ということが、運命!?予め決まっていたのでは?と思います。すべての出会いや出来事など、何かしらのつながりがあります。また、そういったことを感じるようにより心がけることで、そのつながりはより鮮明にあらわれ、それが必然と感じます。私がいきついた解釈は、運命と必然は、実はイコールであり、その必然・運命を生むのは、自分自身であるということです。運命などない、人生は自分で切り開くものだと思っていた自分が、あまりにも本質を理解していない、思慮に欠けた、浅はかな思いであったかのように思います。
本質を掴むということが如何に大事であるのかが、ようやく30才手前にして気づくことができました。まだまだ全てを理解しておりませんが、そのことを意識することで素晴らしい時間を送れることと思います。
以上